
文庫版『ネイティブ・マインド』刊行記念 北山耕平さんインタビューページ

インタビュアー:鈴木七沖(TB編集部)
| ◎評論家の植草甚一が編集した雑誌「WonderLand」(のちの「宝島」)や「ビックリハウス」「GORO」「POPEYE」「写楽」「BE-PAL」など、70〜80年代が生んだ伝説的な雑誌に編集者としてかかわってきた北山耕平さん。5年間にわたるアメリカ滞在中、一人のメディスンマン“ローリング・サンダー”との出会いから自分自身のルーツを知る旅を始め、以来、長年にわたってアメリカ先住民族とその精神世界を日本の読者に伝えつづけてきました。1988年に刊行されてから、若者たちのバイブル的な一冊として読み継がれてきた『ネイティブ・マインド』が文庫化された記念として、この作品への思いと読者へのメッセージを語っていただきました。 |

北山:大学に在学中から雑誌の編集に携わってきて、当時は4つのペンネームで原稿を書いていました。そのうちのひとつが「北山耕平」だったわけ。だから、『ネイティブ・マインド』は北山耕平の処女作に違いないんだけど、これまでに何冊も原稿を書いたり、素敵な作品を翻訳してきたりするなかで、僕自身にとっては、いちばん思い入れのある作品なんだよ。原体験をまとめたからね。

北山:そんな簡単な気持ちじゃないよ。日本を捨てるつもりでしたね。帰ってくる気はなかった。この国がたどる未来も僕なりにイメージできていたし。それと音楽が……とくにイーグルスやニール・ヤングなどのウェストコーストミュージックが好きだったから、ニューヨークやサンフランシスコではなく、ロサンゼルスに住みたかった。実際に住んでみると、やっぱり住みやすかったよ。ロサンゼルスも、アメリカという国自体も。観光ビザだとせいぜい3か月か長くても6か月くらいしか滞在できないけれど、僕は手伝っていた雑誌の出版社経由でジャーナリストビザを取得していたから、1年ごとに5回の更新、つまりフルで5年間はいられました。

北山:当時の若者たちに人気のあった雑誌「POPEYE」に、毎号原稿を書いて送っていました。食べていくためだよね。全米を取材しながら見てまわった。そしてアメリカの文化を日本に紹介していたわけ。まだ日本人が知らないような、例えばフリスビーだとかサーフィンやバックパッカー文化をね。ところがさ、ある日ふとつまらなくなったんだよ。というのは、アメリカには流行なんてものがないから、遊びの延長として文化が存在しているけれど、それを日本に紹介すると「流行」という名の流行りものになってしまう。僕が執筆した記事が掲載されている雑誌を片手に、小さな町に観光バスがやって来て、日本人がモノを買いあさるわけですよ。「流行」をね。ハワイやグアムにも、そういう旅行者が山のようにやってきた。あおるように書いていた僕にも責任はあるけど、「何やってんだ、オレは?」って。むなしくなってきたわけです。その頃から、沙漠(デザート)に通うようになりました。
| “アメリカに暮らしはじめて二年目の夏の終わり、私は生まれてはじめて砂漠を体験した。それまでもなんどか、仕事で砂漠を通過したことはあったが、その時はいつも次の街に行くためで、はじめから砂漠に入ることを目的とした旅はそれまでしたことがなかったのだ。ある時友だちのひとりが「デス・バレーにいかないか」と話を持ちかけてきた。その頃にはもう随分英語も通じさせることができるようになっていたし、実際、白人的な暮らしに飽きが来ている時でもあった。死の谷(デス・バレー)、と呼ばれる場所が、ロスからまる一日ドライブしたところにあるということを、私ははじめてその時に知ったのだ。砂漠(デザート)! 私のなかに、なんとも押え難い感情が湧きあがってきた。今思えばよほどオーバーな装備を揃えて、砂漠のことなど何も知らない私たち二人は、おそるおそるそのなかに入っていった。”(文庫版『ネイティブ・マインド』P20より抜粋) |

北山:日本にいると沙漠なんて体験できないでしょう。人なんてほとんどいないし、あたりは無音。都会にいた反動かもしれないね。沙漠には湿気がなくて、視力さえよければ澄んだ風景が何十キロ先まで見える。圧倒的な風景と無音の空間。地球が生まれた姿が沙漠にはあったんだ。例えば、コヨーテに出会う機会なんて、僕たちの生活の中ではないでしょう。そこでは、そうやってさすらう生き物たちと当たり前のように出会うわけです。どういう生き物がいるのか、どんな植物が生息しているかが通ううちにわかってくる。ところが、雑誌の編集部にさ、そういう沙漠を取材して原稿を書きたいと申し入れても、まったく理解されない。アメリカに滞在して3年目くらいかな。このまま沙漠のガイドをやりながら死んでもかまわないくらいにまで気持ちが高まっていったんだよ。


北山:1979年の2月26日。忘れもしない29歳のとき。北の沙漠に行く途中で、ネバダ州カーリンという町に立ち寄ったんだ。いっしょに旅をしていた仲間と「もしかしたら、ドン・ファンに遭えるかもしれないね」と話しながら。ドン・ファンとは、カルロス・カスタネダの著作集のなかに出てくる、驚くほど透明で明晰な思考を持って登場するヤキ・インディアンの呪術師のことだけど、本のなかでは彼がソノーラの沙漠のヒトということになっていたからね。まだUCLAの学生だったカルロス・カスタネダが、ペヨーテという幻覚性植物のことを詳しく聞こうとして、ドン・ファンに声をかけたのはアリゾナのどこかにあるデザートの町だった、と書かれていた。僕たちはそこまで行こうとしていたんです。
皆既月食の前日、2月25日の夕方、カーリンにある、崩れかけたようなロード・サイドカフェに入って食事をしていたら、女店主に言われたんだ。「あんたたちも、あのおかしなインディアンに会いに来たのか?」って。おかしなインディアンこそが、のちに出逢えたローリング・サンダーのことだった。
ローリング・サンダーはメディスンマンであり、スピリチュアル・リーダーだったから、さまざまな人が彼に遭うために、ここまでやって来ていたんだね。50年代から70年代のある時期まで、アメリカ人化教育を最後まで受けなかったインディアンはたくさんいたみたいだけど、ローリング・サンダーもその一人で、英語であって英語でない、短い言葉でさまざまな概念を言い表していた。それがものすごく格好よくて、みんな聞きに来ていたわけ。ボブ・ディランやグレイトフル・デッドのメンバーしかり、ゲーリー・スナイダーやアレン・ギンズバーグといったビートニクの詩人や文学者も訪ねて来ていたんだ。ローリング・サンダーとの出逢いが『ネイティブ・マインド』の軸になっているから、そこは文庫版でも、しっかり味わっていただきたいね。
皆既月食の前日、2月25日の夕方、カーリンにある、崩れかけたようなロード・サイドカフェに入って食事をしていたら、女店主に言われたんだ。「あんたたちも、あのおかしなインディアンに会いに来たのか?」って。おかしなインディアンこそが、のちに出逢えたローリング・サンダーのことだった。
ローリング・サンダーはメディスンマンであり、スピリチュアル・リーダーだったから、さまざまな人が彼に遭うために、ここまでやって来ていたんだね。50年代から70年代のある時期まで、アメリカ人化教育を最後まで受けなかったインディアンはたくさんいたみたいだけど、ローリング・サンダーもその一人で、英語であって英語でない、短い言葉でさまざまな概念を言い表していた。それがものすごく格好よくて、みんな聞きに来ていたわけ。ボブ・ディランやグレイトフル・デッドのメンバーしかり、ゲーリー・スナイダーやアレン・ギンズバーグといったビートニクの詩人や文学者も訪ねて来ていたんだ。ローリング・サンダーとの出逢いが『ネイティブ・マインド』の軸になっているから、そこは文庫版でも、しっかり味わっていただきたいね。
| “犬の鳴き声は聞こえなかったが、いきなり入り口のほうで物音がした。布の引き上げられる音。外は少し明るくなっているらしい。黒い影のように、ヒトがひとり、しなやかで、優雅な身のこなしで入ってきた。そのヒトは私たちをゆっくりと眺め回している。彼の顔には穏やかな微笑みが浮かんでいた。私は自分がまだ夢の続きを見ているんじゃなかろうかと思った。そのヒトはこれまで自分が逢ったいかなる人間とも違って見えたのだ。頭巾のように白い布できりりと頭を包み、そこから大きな鷲の羽根が一枚突き出している。継ぎ接ぎだらけにもかかわらずなんとも決まって見えるジャケット、首から無造作に下げられたターコイズの首飾り。おまけに彼は片手に短い弓、もう片手に矢筒に収められた矢まで持っていた。私は夢でも見ているような気持ちで、そのヒトが空いていたベッドに腰をおろすところを見ていた。明らかに彼は、自分が何をやっているのかよく知っているようだった。大変な存在感なのだ。彼は黙ったまま、こちらを見ながら微笑んでいる。 服を着たまま寝ていた私たちは慌てて起き上がる。身づくろいを整えている私たちに向かってそのヒトは手を差し出して、ローリング・サンダーであると名乗ったのだ。差し出された手を、私は握り、自分の名前を伝えた。彼は一瞬私の目を覗き込んだ。信じられないくらい優しい目をしている。そして、なんと柔らかな手であることよ。 自己紹介が終わると、ローリング・サンダーは私たちに今日はここにいるようにと言った。自分はこれから山に入り、一族の者が日食を見ないようにするための儀式をおこなわなければならないとも。 「日食がはじまるまでには戻ってくるから、しばらくしたら向こうにあるログ・キャビンに行って待つように」 ローリング・サンダーはそれぞれの言葉がはっきりとわかるような丁寧な英語で話した。彼はうれしそうだった。口の端がいつも笑いたそうにしている。私はまた目を覗き込まれた。つられて私も笑いたくなるようなニコヤカな表情だった。 「HO!」という声を残してローリング・サンダーはまた、あのしなやかな身のこなしで外に出て行った。彼の出ていったところから光が差し込んでいる。私たちはいったい何が起こったのかわからずに、お互いにしばらく顔を見合わせていたものだ。”(文庫版『ネイティブ・マインド』P77より抜粋) |

北山:「ネイティブである」ということと「日本人とは何か?」ということだよね。すべての生命のなかには、動物も植物も好物も、そして僕たち人間も、ありとあらゆるものがあって、それが輪になっているということ。全部が自分なんじゃなくて人もワン・ピースだってことを思い出すことだよ。輪のなかに、ちゃんと自分の場所をもっている。もともとの人間たちは、人間としての在り方を知っていたんだ。神だって、その輪のなかの一部だということを。そして人間は、スピリチュアルなレベルと、肉体的なレベルの両方であらゆることを体験していく存在で、どちらかだけの体験で終わらせてしまうと本来の在り方……輪のなかから、どんどん離れていってしまうと思う。
僕は、ローリング・サンダーと遭うまで、「日本人とは何か?」を知らなかった。じつは誰も知らないよね。日本人として育ってきているんだから。でも、日本人なんかいないんだよ。日本列島にルーツを持つ人がいたわけ。ネイティブ・アメリカンと出逢い、日本に帰ってきてね、この日本列島の自然はなんて汚れているんだろうと思った。死にかかっているよね。原発の数も異常なくらい多いし。土地というものに対する態度が最悪だよ。
以前、レイム・ディアーというメディスンマンがこう言っていた。「国家などというものは絨毯のようなものだ」ってね。高層ビルだ、ハイウェイだ、原発だと、巨大な建物が絨毯のうえに乗っかっているだけ。くり返すけれど、ほんとうは「日本人」なんていないんだよ。いるのは地球という星の「ネイティブ」だけなんだ。
僕は、ローリング・サンダーと遭うまで、「日本人とは何か?」を知らなかった。じつは誰も知らないよね。日本人として育ってきているんだから。でも、日本人なんかいないんだよ。日本列島にルーツを持つ人がいたわけ。ネイティブ・アメリカンと出逢い、日本に帰ってきてね、この日本列島の自然はなんて汚れているんだろうと思った。死にかかっているよね。原発の数も異常なくらい多いし。土地というものに対する態度が最悪だよ。
以前、レイム・ディアーというメディスンマンがこう言っていた。「国家などというものは絨毯のようなものだ」ってね。高層ビルだ、ハイウェイだ、原発だと、巨大な建物が絨毯のうえに乗っかっているだけ。くり返すけれど、ほんとうは「日本人」なんていないんだよ。いるのは地球という星の「ネイティブ」だけなんだ。

北山:読み取るというよりも、「日本」という絨毯を捲き上げて、じかに「日本列島」に触ってほしいよね。日本人とは何か? を自分で知ることが大切だし、ずっと続いているスピリットに触る努力をしなければならないと思うんだ。もっと日本列島やこの自然を大切にする文化をつくっていかないと。自然の声がまったく聞こえなくなっている。
もっと日本列島を抱きしめるように愛してほしい。
では、どうやって抱きしめるか。
それは、僕が20代で沙漠と出逢い、そこで死んでもいいと思ったように、若いうちにそのような場所を1か所でもいいから見つけること。体を移動させながらね。全身で味わうこと。もし見つけたなら、あとは自然がその人をコントロールしていくでしょう。かりにその場所を離れたとしても、心はそこにいるように。何年かに一度、そこで過ごしてみるといい。そういう場所があるだけで、心のなかに根を張っていくわけ。列島を知るとは、そうやって直接、土地に触れていくことなんだよ。肉体的にも、精神的にも。
震災があって、原発が待ったなしの状態になって、この国には聞きたくないニュースばかりがあふれているよね。ローリング・サンダーは言っていたよ。天変地異は増えていくだろうって。世界中でいろいろなことが起きている。
生き延びていくためには、それぞれの覚醒が必要だと思う。そこの入り口として、この文庫版『ネイティブ・マインド』があってくれたら嬉しいね。サインポストみたいな存在としてね。僕たちは、もともと日本列島にいたインディアンであり、地球のネイティブなんだという意識、すべての命はつながっているんだという意識を、次世代へと確実に伝えていかなければならない。
その意味でもね、今、自分がどこにいるのか、その場所を確認するためには、ほんとうの歴史が必要なんだ。インディアンの人たちは、とくにお年寄りが世界の始まりを語り、今がどうやってこうなっているのかを伝えていたからこそ、歴史が話している場所で具現化されて生きつづける。最初のスピリットをしっかり伝えていくわけ。
僕たちもそろそろ、この日本列島を抱きしめるようにしながら、しっかりと歴史を共有していきたいよね。世代を超えてさ。
もっと日本列島を抱きしめるように愛してほしい。
では、どうやって抱きしめるか。
それは、僕が20代で沙漠と出逢い、そこで死んでもいいと思ったように、若いうちにそのような場所を1か所でもいいから見つけること。体を移動させながらね。全身で味わうこと。もし見つけたなら、あとは自然がその人をコントロールしていくでしょう。かりにその場所を離れたとしても、心はそこにいるように。何年かに一度、そこで過ごしてみるといい。そういう場所があるだけで、心のなかに根を張っていくわけ。列島を知るとは、そうやって直接、土地に触れていくことなんだよ。肉体的にも、精神的にも。
震災があって、原発が待ったなしの状態になって、この国には聞きたくないニュースばかりがあふれているよね。ローリング・サンダーは言っていたよ。天変地異は増えていくだろうって。世界中でいろいろなことが起きている。
生き延びていくためには、それぞれの覚醒が必要だと思う。そこの入り口として、この文庫版『ネイティブ・マインド』があってくれたら嬉しいね。サインポストみたいな存在としてね。僕たちは、もともと日本列島にいたインディアンであり、地球のネイティブなんだという意識、すべての命はつながっているんだという意識を、次世代へと確実に伝えていかなければならない。
その意味でもね、今、自分がどこにいるのか、その場所を確認するためには、ほんとうの歴史が必要なんだ。インディアンの人たちは、とくにお年寄りが世界の始まりを語り、今がどうやってこうなっているのかを伝えていたからこそ、歴史が話している場所で具現化されて生きつづける。最初のスピリットをしっかり伝えていくわけ。
僕たちもそろそろ、この日本列島を抱きしめるようにしながら、しっかりと歴史を共有していきたいよね。世代を超えてさ。




